アバターくん、ちょっと学校行ってきて

私立高校・『青葉志成バーチャル学園』では、直接学校に通わず、自分のアバターを使って授業や部活に参加する完全オンライン制の学園生活が営まれている。 試験や部活、普段の学園生活における貢献度によって”スクールポイント”を獲得でき、ポイントは大学の推薦や、普段の学園生活、学期終わりのイベントやその他特典などに利用可能だ。合理主義者の主人公、御宿深丸(みしゅくふかまる)はオンライン制を利用し、様々な遊びを試みるのであったが……。

第1話 御宿深丸とその周辺

 コン。落としたペットボトルのフタが床のタイルをはねる音に、落とした藤枝道慈(ふじえだ・どうじ)自身がビクッと身体を震わせた。職場の同僚たちが帰ったあと、ずっとPC端末のデータファイルとにらめっこしていた。

 藤枝は立ち上がると転がるフタを追いかけた。フタはマリンブルーのパンプスに当たって止まり、藤枝は驚いて顔を上げた。

「ああ、えーっと……。橋本先生。まだいらっしゃったんですか」

「橋爪です。橋爪楓里(はしづめ・ふうり)」

 橋爪は気にする風でもなく訂正しつつ、しゃがんでペットボトルのフタを取ると、藤枝に手渡した。

「はい、どうぞ。藤枝道慈先生」

「どうも、ありがとうございます」

 鼻をくすぐる控えめな香水と、高校生みたいなショートボブの髪型が藤枝の印象に残った。ぼけっと橋爪の顔を見ていた藤枝は、慌てて二の句を継いだ。

「すみません。人の名前を覚えるのは、昔から不得意で。自分じゃ教師失格かなって思ってるんですけど」

 このセリフ、今まで何度口にしたことだろう。ちょっとしたミスを、ちょっとした軽口、それも自らを卑下するような軽口でやり過ごしてしまうのにうってつけのこのセリフ。

こういうくだらないところばかり上手になってしまった。教師になった今も、自分の本質はほとんど変わっていない。変わったのは立場と、社会人として要求される最低限のコミュニケーション能力が身についたくらいのことだ。

「おととい着任されたばかりなんだから、気にしなくていいですよ」

 橋爪は目ざとく藤枝のPCの中身を見ると、付け足した。

「それに、こんな遅くまで自分が受け持つ生徒たちの基本情報を熟読してる時点で、教師大合格です」

「ああ……。これは単純に、見てないと不安で、っていうだけで。それに、諸々の雑務が終わってさっき読みだしたばかりですから」

 藤枝は苦笑した。

「まさか転任先が全日制でも、通信制でもない、バーチャルハイスクールだなんて、予想外でしたからね」

「まったく同じ気持ちです。まぁ、私やほかの多くの先生がこの学校の本元・青葉志成大学附属高校からの出向者ですから……。藤枝先生のような外部からいらした方に比べたら、まだ楽なのかもしれないですけど」

 明後日は入学式。青葉志成大学附属高等学校の分校として昨年開校したばかりの青葉志成バーチャル学園の二期生が新たに門戸を叩く……と言いたいところだが、入学式もその後の授業もほとんどすべてがオンライン上の仮想空間で行われるというシステムである。

「今までとは勝手が違いすぎて、なんだかねぇ……。そういや、橋爪先生、何で戻ってらっしゃったんでしたっけ?」

 藤枝の問いに、橋爪はあっと声を漏らした。

「そうだ、スマートフォン忘れて取りに来たんだった」

 橋爪は藤枝の斜向かいの席に小走りで移動しながら、尋ねた。

「なんか面白そうな生徒はいました? 藤枝先生が読んでたの、生徒が事前に提出した自己紹介シートでしょ?」

「そうですそうです。うーん、でもやっぱりみんな個性的ですよね。芸能活動をメインでやりたい女の子、ワケあって全日制の高校中退しちゃった男の子。中には起業家もいますね。この子は中三で既に三つものオンラインショップを立ち上げてて、フェイスブックの友達の数が二〇〇〇人ですって」

「はは、まー普通の高校には興味なさそうなタイプですね」

「ん? こいつはなんだ?」

 藤枝の目が一人の生徒のデータに吸い寄せられる。

 

  1. 氏名:御宿深丸(みしゅく・ふかまる)
  2. 年齢:15
  3. 住所:東京都世田谷区×丁目××××××
  4. 家族構成:父、母、姉、弟、猫一匹
  5. 趣味:特になし。強いて言うなら音楽鑑賞、猫の毛並みの手入れ
  6. 将来の夢:特になし。強いて言うなら投資家
  7. 気になる部活動:特になし。強いて言うなら文化部のどれか
  8. 希望するニックネーム:特になし。強いて言うならミッシー、ふかまる
  9. クラスメイトに一言:まだ会ってもない連中に対して言うことは特にない

 

 藤枝と、いつの間にか端末をのぞき込んでいた橋爪は同時に首を傾げた。

「こいつ……。やる気がないのかふざけてるのか、それともウケを狙ってるのか……。なんなんだ?」

 

 

「ごちそうさーん。あなたも私もごちそうさんハイハイと。ねーちゃん、冷凍庫ん中アイスある?」

「あのさ深丸、もう夜遅いんだからくだらないこと言ってないでとっとと風呂入ってくんない?」

「くだらないぃ? 冷凍庫におけるアイスの重要性をわかってらっしゃるんですかね、お姉さまは。アイスのない冷凍庫なんてのはね、さながらモデルが歩いていないランウェイのごとき寂しさですよ。もとい、無用の長物ですよ」

「あ、なぜか梅干しが一個だけ入ってんだけど」

「はぁぁ? なんでランウェイに干からびたババアが紛れ込んでんだよ? ババア、お前の輝かしき時代はとっくのとうに終わったんだよ、即刻出ていきなさいよ」

「幸太郎の仕業ね、あんたまた悪戯したでしょ!?」

 御宿十和莉(みしゅく・とわり)はキッチンから顔を出し、食卓でテレビに見入っている幼い弟・幸太郎を睨んだ。

「こーたろー! ねーちゃんの話聞いてんの!?」

「ぼくやってないよ」

 幸太郎は丸い声で答えた。十和莉は食い下がる。

「こんなことすんの、うちであんただけでしょーが!」

「ぼくやってないよ」

「ちょっと幸太郎――」

「んまぁまぁ、夜も遅いことだし。な? 幸太郎、一緒にひとっ風呂浴びてこようぜ」

 御宿深丸は幸太郎をむんずと抱きかかえると衣服を引っぺがし、尻を叩いてトイレに向かわせた。

「ほら、小便してこい小便」

「ぼくテレビ見たいよ」

「夜にテレビ見たらねーちゃんに殺されるぞ」

「殺される?」

「ああ、殺される」

「殺されるとどうなるの?」

「一生テレビ見れなくなる」

「やだ!」

 全裸の幸太郎はトイレに向かってバタバタと駆け出した。

 キッチンから十和莉のじっとりした視線を感じ、深丸は振り返った。

「何か問題でも、お姉さま?」

「まーたあんたは幸太郎を甘やかす」

「甘やかす? 梅干しの悪戯を追及しなかったこと?」

 十和莉は皿を拭きながら頷いた。深丸は、それは違うさ、と切り返した。

「あそこで幸太郎を問い詰めてたら、幸太郎は機嫌を損ねて風呂入るどころじゃなくなってただろう。そうすると、今年の春より大学受験生におなりあそばれた麗しきお姉さまの貴重なお時間を奪う事態になりかねない。時間の有効活用ってポイントじゃ、さっきの俺の行動は最適解だったはずさ」

「えらそーに、何が最適解よ。さっきので幸太郎が調子に乗って、悪戯をエスカレートさせたらどーすんの?」

 十和莉は深丸を信用していない態度丸出しで反論した。深丸は涼しい顔でやり返す。

「ねーちゃん、あれは彼の中の一過性の『流行り』だ。あんなのすぐに面白くなくなる時期がくるさ。些末な物事はたいてい時間が解決してくれる。俺たち現代人ってのは妙に時間に余裕がないだろ? 大切なこととそうでもないことを見極め、大切なことに時間をかけるようセルフコントロールしなきゃ」

「薄っぺらい自己啓発書みたいな論法でごまかそうとしないで。ってか、こうしてあんたとしゃべってる時間が一番ムダだから。早くお風呂入ってきて。あと、使い終わったら風呂椅子、ちゃんとお湯で洗い流してよね」

「へいへい。やっぱりねーちゃん、彼氏できてから変わったよなー、そーゆーとこ」

「はぁ? 適当なこと言わないで。あんたも明後日、入学式でしょ。準備とかちゃんとしたら?」

「準備ってもなぁ……」

 そのとき、トイレから走り出てきた幸太郎が二人の間を駆け抜けた。

「にいちゃん! 先入ってるから、お風呂の中で戦車ごっこしようね!」

「おう。すぐ行くぞー」

「……長風呂は厳禁よ」

「わかってるよ、そんなおっかねー顔しないでよ」

 深丸はするりと全裸になると、アンパンマンのテーマソングを朗々と歌う幸太郎の身体をごしごし洗ってやった。乳歯が二本抜け、額に瘤、右肘に青痣。なんとも見てくれの悪い身体だが、肌は健康的な明るい色をしている。

「元気に育ちやがれこの野郎」

「え? にいちゃんなんかいった?」

「いや、俺、今年からたぶん、家にいること多くなるから。前よりたくさん遊べるかもな」

「ほんと?」

「うん」

「じゃあバビングたんけんたい入る?」

「バビ……え? なにそれ?」

「バビングたんけんたいは、リョウくんたちとケッセイしたヒミツソシキで、町のヒミツをしらべるんだ」

「あー」

 深丸は自分が幸太郎や、幸太郎が通う幼稚園の子供たちに交じって怪しいおっさんをつけまわしたり、裏路地を無駄にダッシュしたりしている風景を想像してげんなりした。

「俺くらいにもなると町のヒミツなんて知り尽くしてるからなぁ、町の調査は幸太郎たちに任せるよ」

「じゃあ、にいちゃんはなにがしたいの?」

「なにがしたい?」

 深丸はオウム返しにつぶやいた。

「俺は……何がしたい……?」

(第1話おわり)