アバターくん、ちょっと学校行ってきて

私立高校・『青葉志成バーチャル学園』では、直接学校に通わず、自分のアバターを使って授業や部活に参加する完全オンライン制の学園生活が営まれている。 試験や部活、普段の学園生活における貢献度によって”スクールポイント”を獲得でき、ポイントは大学の推薦や、普段の学園生活、学期終わりのイベントやその他特典などに利用可能だ。合理主義者の主人公、御宿深丸(みしゅくふかまる)はオンライン制を利用し、様々な遊びを試みるのであったが……。

第5話 予感

 藤枝道慈。深丸の担任のアバターは、平々凡々な三〇代前半男性そのものといった容姿だった。彼は瀬戸晴信に近づいた。

「瀬戸くん。急式先生が呼んでるよ。一緒に行こうか」

「その必要はない」

ピリッと張り詰めた声が聞こえたかと思うと、藤枝の背後から長身で細面の男が姿を現した。そして、聞こえよがしにため息を漏らした。

「これ以上、私を失望させないでくれ、瀬戸。いつになったら真面目に『課題』に取り組むつもりだ?」

 瀬戸は逃げるのを諦めたらしく、けだるそうにポケットに手を突っ込むと、椅子に腰を下ろして脚を組んだ。

「その質問に対する答えは、もうとっくに取り組んでる、だ。ちゃんと通常のペースで、通常のやり方で、ね。それで成果が上がっていないということは、今回の『課題』が、俺のやり方が通用しないほどチャレンジングだってことさ」

「昨日までのやり方が、今日も通用するほど甘くはない。そんな教訓を高校生時代から身をもって知ることのありがたさを、君は噛み締めるべきかもしれないな」

「いい先生ですよ、急式先生、あなたって人は。啓蒙的? っていうのかな? けれど、本当にいい先生ってのは困ってる生徒に正しい選択肢を示し、その先のゴールに向かって背中を押してやれる人だと思うんですが」

「ならば、そうだね、君も自分がいい生徒であることをもう少し上手く表現するべきだね。教師も人の子だからね、いい子には褒美をやりたくなるというのが親心ってもんだよ」

 急式と瀬戸は少しの間、お互いを探るように見つめ合った。が、すぐに瀬戸が口を開いた。

「わかりましたよ。俺たち、なんというか、もっと上手に協力し合って成果を出せると思うんだ。嫌味な挨拶から始まる会話じゃなくて、『課題』解決に向けた建設的な議論が必要ですよ」

 瀬戸は口元に笑みを溜めて話し続ける。

「ま、そんなことは最初から分かっていたんですけどね。雑賀のヤツに差をつけられて、ちょっとひねくれてた部分もあったというか」

「これまでのことは水に流して、まずは現状報告を聞きたいところだ」

「ここはまずいでしょう、さすがに」

 瀬戸は、さっきから三人には目もくれず飯をかきこんでいる深丸をちらりと見やった。その目つきがいちいち気取っていて、深丸の癇に障る。

「なんすか? 邪魔なら俺、消えましょうか?」

 深丸の発言に、藤枝はゆっくりと首を振った。

「僕は、君と話したいと思っていたんだよ、御宿深丸くん。君の自己紹介シートを読んで、君の人となりについて興味を持っていたんだ」

「俺の人となり?」

「とても印象的な自己紹介だったからね。ほかの誰とも違う、個性を感じたよ」

「そーっすかね。俺なんてどこにでもいる普通のヤツですし、普通のことしか書いてねーと思うんすけど」

「そうなのか。意外だね」

 藤枝は深丸を正面から見据えた。

「君……というか君たち生徒のことを、僕は何も知ることができない。君たちのアバターを知ることができるだけだ。言ってしまえば、アバターは小説や映画と同じ、創作物だ。君たち自身のようであって、決してそうではない。そこが面白いところかもしれないって、ここ数日考え続けていた」

 まだまだ話をしたい様子の藤枝を制し、急式は鋭い眼光を瀬戸に向けた。

「君の報告は、ログアウトしたのちに個人的に聞くことにしよう。サーバー内で『課題』についての会話を続けるのは、危険かもしれない」

 瀬戸はうなずいた。急式は頷き返すと、瞬時に姿を消した。藤枝は慌てた様子だ。

「あ、ちょ、急式先生。話があるっておっしゃいませんでしたっけ?」

  藤枝も消え、食事を再開しようとした深丸に、瀬戸が話しかけてくる。

「君、さ。五十嵐織音って子、知ってる?」

「あーっと、ああ、ついさっき話したけど」

「ふぅん」

 瀬戸は腕組みしてつぶやきはじめた。

「彼女はなぜ例のことを……? 誰かが話したとしか……。一度、コンタクトを取るべきか……」

 瀬戸はおもむろに立ちあがると、深丸に別れを告げ、ログアウトした。

「なんだよアイツよー、匂わしたいだけ匂わしといて先帰ってんじゃねーよ。んだよもー、どいつもこいつもべらべらくっちゃべって気持ちわりーよ」

 深丸もとっととログアウト、キッチンにダッシュ、冷蔵庫の中からキムチ、チーズ、ソーセージをテイクアウト、それを食パンに挟んで電子レンジに突っ込んだ。

「ったくよー、今日出会った中でまともそうなの竹野内豊ふう男子だけじゃねーか。竹野内と同じクラスがいいな。それだけだな今の学園生活に対する希望としてはウン」

 深丸の独り言に呼応するかのように、電子レンジがチン、と音を立てる。柔肌の食パンからほんのりと湯気の立つFOSにむしゃぶりつく。中身がひどく熱くむせる、しかしとろけるチーズのコク、肉厚ソーセージの歯ごたえ、そしてそれらにほどよい刺激を与えるキムチの辛味。ちなみにFOSとは深丸オリジナルサンドウィッチの略称。

「納豆だな。納豆の粘り気を足すと食感の深みが増すかもしんねぇ。キムチと相性いいし」

腹ごしらえを済ませると、ジーパンと真新しいTシャツに着替え、徒歩で本屋に向かった。

長く電子パッドに目を凝らしていたせいか、外の景色がなんだか妙によそよそしく、ちぐはぐに見えた。

目当ての一冊はすぐに見つかった。今日、発売したばかりの漫画だ。

勃起不全で夜の営みを満足に行えなくなった男性が、冷めつつあるパートナーの女性との関係を修復するためにジェンガの面白い遊び方を次々と考案し、夜な夜な遊びに興じるという筋立て。

隣のハンバーガーショップでフライドポテトを買った。漫画を読むお供に最適だと思った。

店の前に止めてある誰かの自転車が、不意に吹き付けた風で倒れた。右足を巻き込まれそうになったので、急いで飛びのいた。こってり日に焼けた若い男性が自転車をもとの位置に戻してやっていた。カップルらしい男女が、その自転車が倒れた一瞬だけ口をつぐんだが、またすぐに低い声で揉めはじめた。

帰り道、公園を突っ切って家に戻ろうとしたら、中学時代の同級生の女の子に呼び止められた。背負ったリュックにかかるくらいのロングヘア―だったはずなのに、ばっさりカットしてショートボブになっていた。

「お、高校デビュー?」

「そう言われるとはずいけど、ま、そーだね。何買ったのそれ?」

「漫画とポテチ」

「最高じゃん、ぐーたら生活三種の神器

「神器、あと一つは?」

「ふかふかのソファーっしょ」

「つーかポテチじゃなくてフライドポテトだった」

 深丸は袋から取り出して、食う? と問いかけた。いらない、ダイエット中だし。あ、そうなの。

「漫画は何の漫画?」

「勃起不全の男がジェンガを本気で極める漫画」

「何それ? 引くわー」

「引くなよ、けっこう面白いんだよ」

「いや、何か、さらっと言っちゃう神経に引いた」

「いや、ゆーて引いてねーっしょ」

「まぁ御宿だし。あーまた御宿がなんか言ってんなーみたいな」

「ってか、何してんのここで?」

「塾の自習室行ったんだけど満席でー。めんどくなって戻ってきた。高校始まんの明日からなんだけど、なんか授業のペース早いって聞いたからさー。真面目に予習でもしよっかなって思ったんだけど。心折れた」

「折れんの早すぎだろ。ポッキー並みの脆さじゃねーか」

「っさいなー。御宿はあれだよね、バーチャルなんたら学園だよね。いつから?」

「俺も明日から」

「高校生活スタートの前日に、そんな変な漫画読んでるあんたって……」

「いいんだよ、もうやるべきことはやったから」

「要領いいもんね、御宿は」

 Tシャツの袖口から春の夕時の冷たい風が入ってきて、深丸は身を固くした。公園の隅に止めてあった自転車が倒れた。近くのベンチに腰かけていた主婦二人が黙り、慌てて一人が自転車を起こしに立ち上がった。

(第5話おわり)