ジャンプ型小説・ブログ集

週刊少年ジャンプみたく3人の著者が小説やブログを更新していきます。

『交通インフラに反抗する清純派な草枕たちの雑録』【2、広島の風景に関するエッセイ】(ゴクツブシ米太郎)

●高校生まで広島県で暮らしていたゴクツブシ米太郎が、身勝手ながら懐かしさに浸りながら、広島の風景を書き起こします。

 

 いきなり愚痴をこぼすのも無粋なことだけれど、広島駅って、見た目があまりパッとしない。遠くから眺めると、これが中国地方一の都市の玄関口なんだろうか? と首をかしげたくなる、ちょっと冴えないたたずまい。もう少し、オシャレしてもいいんじゃない。見慣れた駅に、そう声をかけてやりたくなる。

 ところがここ数年、当駅はようやく色気づいてきた。駅周辺の古い商店街が取り壊される代わりに、マンションやホテル、大型スーパーの建設が相次ぎ、新たな観光・商業エリアとして花開きつつある。いわゆる再開発というやつだ。

 広島市内に目を向けてみると、南北に大きな川がいくつも流れているせいで、広島市内は地下鉄の整備が難しい。そこで代わりに発展してきた交通が、車に紛れて路上をコトコト走っている路面電車だ。英語に直すとstreet carというだけのことはあって、信号が赤になれば止まるし、車内もこぢんまりしているが、個人的にそのやや古ぼけた雰囲気は好きだ。

 広島駅から出ている路面電車に乗り込み、揺られること数分、電車は車体を右方向にたわませると、猿猴川を跨いだ橋に差しかかる。

 荒神橋という、被爆の経験を持つ古い橋である。

 このあたりは道が込みやすいので、路面電車ものんびり進む。移動しながら広島の風景を眺めるには、うってつけのスポットかもしれない。

 橋の真ん中あたりで遠くに視線を投げると、こぢんまりとした教会の尖塔形の建物が、視界の中央に捉えられる瞬間がある。四角四面のテナントビル群の狭間から垣間見える、その異国の建物の姿は、どこかピクチャレスクな気配を漂わせている。橋を渡した川の両岸には桜の木々が行儀よく立ち並んでいて、春の装いを今か今かと待っている。

 広島市内には多くの川が流れている。と、一口に言っても、川の幅や長さ、川の周囲の自然環境や建物がちがうと、川それ自体も、ほかの川とぜんぜんちがって見えるからおもしろい。

 それに、川には昼の顔と夜の顔がある。よく晴れた昼日中、ゆっくりと流れていく川の水面を、小粒の日の光が幾重にもまたたいて追っていく、追っていってきらきらと戯れている。そしてだんだん空の色が重くなると、光り始めた家やビルの小さい明かりが、黒々した川の上を沈まないで、ぽつぽつ浮いて揺れている。

 

 猿猴川から離れ、市内中心部に移ろう。太田川元安川と分岐する地点にあるのは有名平和記念公園だ。そして、その対岸には原爆ドームが立っている。原爆ドームの周囲には黒い柵が設けてあって、当然のことながら進入はできないが、かなり近くで建物全体を視界におさめることができる。

 爆風で粉砕されて残った「瓦礫」もそのまま保存されており、構造上、不安定な部分は鉄筋で支えられている。ご存知のとおり、この建物は、原爆の残酷さを後世に伝える遺物としての価値から世界遺産に登録され、毎年多くの観光客が足を運ぶ場所だ。この満身創痍をさらけ出した姿だからこそ価値があるのだし、これを建て直すべきではないという理屈は分かっている。ただ、分かっているつもりでも、この姿はとてつもなく痛々しい。

 言葉というのは残酷だ。私はさきほど瓦礫という言葉を用いた。東日本大震災が起こったあと、私たちはこの言葉を連日、ニュースや新聞で聞き慣らされてしまった感がある。瓦礫の処理、瓦礫の撤去作業、瓦礫、瓦礫、瓦礫……。

 建物が破壊され、原形を留めぬ無数の断片として地面に散乱したとき、それは瓦礫と呼ばれる。その建物が、公衆便所であろうと、ファミレスであろうと、何十年も家族の思い出が詰まった温かい住居であろうと、みな等しく「瓦礫」になるのだ。

 直ちに片付けられるべき再生不能の存在として、いずれの「建物だったもの」にも無慈悲な等価の審判が下される。「瓦礫」という言葉で呼ばれることで、「建物だったもの」は二度目の破壊を被る。それが「建物であった」ことにまつわる記憶を破壊されるのだ。

 だからこそ、原爆ドームはこのままの姿であらねばならないのだろう。「建物である」部分と、「建物であった」部分(「瓦礫」になってしまった部分)の共存関係は、原爆ドームが二度目の破壊の寸前に何とか踏みとどまっている危うさを、まざまざと見せ付けてくる。

原爆ドームを「遺物」「遺跡」と神聖視するのは決して悪いこととは断言できないが、その視座は現在から過去を振り返ることにほかならない。それは原爆ドームという建物を一面的にしか捉えていない。私たちは過去に居座り、過去だけを見つめる眼差しを養うべきだ。原爆ドームを戦争被害の記憶の集積の中心点にするのではなく、そして、もっと言えば、原爆ドームに「戦争被害」や「瓦礫」といった語りやすい言葉をまとわせるのではなく、原爆ドームを語る新しい言葉を常に探し続けなければならない。そうしなければ、私たちはこれから先、原爆ドームを幻想的な、実体のない言葉で語る羽目に陥ってしまう。

 

(おわり)