『交通インフラに反抗する清純派な草枕たちの雑録』【1-2、旅行論PART2】(ゴクツブシ米太郎)

●「旅」、「旅行」という言葉の語源と、古代における「旅」のイメージを追った前回に引き続きまして、今回は中世・近代の「旅」のイメージを膨らませていきます。

 

 中世に至ってようやく人は旅する自由を手に入れます。『旅の思想史』によると、中世ヨーロッパの騎士たちは誰にも強制されず、自発的に旅をする「遊動性(モビリティ)」を手に入れたのです。また、中世に栄えたボローニャ大学などの学生たちは、ヨーロッパ各地を行脚して、専門的な知識を持った教授たちを探して回ったそうです(『大学の歴史』クリストフ・シャルル、ジャック・ヴェルジェ共著、白水社)。

 そして、近代になると水陸両面で交通インフラが発達し、「旅行=tour」が一般的に浸透するようになっていきます。近代以前は、旅人を送り出し、家で帰りを待つという役割に留まっていた女性も旅行の自由を得ました。

 いくつか文学作品を見てみますと、例えば、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』では、積極的に愛を求める旅行に繰り出す若い女性と、それに当惑する男が描かれています。前回の記事の冒頭でも挙げた『チャタレイ夫人の恋人』では、戦争で負った怪我がもとで性的不能になった夫が、妻が子供を妊娠することを期待して、旅行と情事を勧める場面が描かれています。

 自由というのはいいものです。ジャン=ジャック・ルソーも『孤独な散歩者の夢想』で語っています。「自由とは、何でもかんでもやることができるという意味ではない。やりたくないことをやらない自由が真の自由である」と。

 『旅の思想史』でエリック・リードは、「現代人にとって『旅』とは、自由の表現であり、必然性と目的からの逃避である。また、新しく珍しいものを発見し、それに接近することでもある」と述べられています。

 この定義に関して異議を唱える余地はないように思われるし、ここで私が、上記のような現代人の欲望を満たすために「旅=travel」は「観光=sightseeing」と緊密に結びつきながら、商品化(パッケージ化)され、消費者に提供されてきた、と付け加えたとしても、概ねの同意を得られるのではないかとも思います。

 

(1-3につづく)