ゴクツブシ米太郎といがもっちの懐かしの座談会 パート2

ニーチェ

ゴクツブシ:ニーチェ※1読んでるの?

いがもっち:ニーチェはちょっとかじっただけ笑 そんなに読んでない笑 ニーチェもたくさん本出しとるけど、とりあえず『善悪の彼岸』は完全に読んでみたいねぇ。……そう言えば、ツァラ……あれ、なんだっけ?

 

ゴクツブシ:ああ。『ツァラトゥストラはかく語りき』?

いがもっち:そうそう。そのツァラトゥストラってさ……あの……古代の「万物の根源は土・火・水・風」って言った人誰かいね?

ゴクツブシ:ええーっと……ああ、思い出したいけど思い出せないな

いがもっち:ああーっと……ああ、エンペドクレスだ。それがモデルになっているらしいよ

ゴクツブシ:へー。ピタゴラスしか覚えてなかった(笑)

 

※1 フリードリヒ・ニーチェ。ドイツの哲学者。ニヒリズムの生みの親。『善悪の彼岸』では、僕の好きな言葉「人は結局のところ対象そのものを愛しているのではなく自分の欲望を愛しているのである」が掲載されている。

 

プロフェッショナルorオールマイティ??

ゴクツブシ:最近、文学ばっかりじゃなく他にも視野を広げないといけないって思うようになってきたわ。社会学とかメディア論とか。

いがもっち:うん。そうよね……それはもうなんか文学にかかわることというか……最近よく言われていることが、「最近の大学は専門にはしり過ぎている。そろそろ体系的に研究しないといけない」。やっぱり一分野だけでなく、他分野にまたがる研究をした方がいいよね。

ゴクツブシ:アメリカのエリートとかって、自分の専攻の他に副専攻も作るっていう。あれ聞いた時ショックだったわ。俺は今平和学とか副専攻として取ろうと頑張っているんだよね

いがもっち:ああ。ところで平和学って何をするの?(笑)

ゴクツブシ:一応……平和とは一体何なのかという概念とか定義とかを学んで、それだけだと机上の空論に過ぎないから、ケーススタディをする。

いがもっち:うんうん。

ゴクツブシ:やっぱり一概に平和って語れないじゃん? こうすることが平和だとか、こうすれば戦争は止められるとか一概には絶対語れないと思う。アルジェリアにはアルジェリアのケースがあるんだろうしシリアにはシリアのケースがあるんだろうし。

いがもっち:そうそうそう。

ゴクツブシ:絶対手を変え品を変え、別のアプローチでやっていかないとだめだと思う。そういう面ではそれぞれに専門化したというか特化した人がいてもいいと思う。

いがもっち:そうねえ。まあでもそう考えると確かに専門的に研究する人も必要だよね。

ゴクツブシ:まあねえ。現地とかねぇ。

いがもっち:突きつめる人がねぇ。

ゴクツブシ:そうそうそう。

いがもっち:それを誰かが体系的にすればいいと思うんだけど。

ゴクツブシ:役割分担か……平和活動の構造って、専門家━━特化してケーススタディに当たっている人とそれらを体系的にまとめあげる人達っていう、確かにちゃんと二分化されてはいるんだけど、結局その専門的な研究をした人達の方がどうしても劣位に立たされているんだよね。それはなぜかというと、体系的にまとめあげている人たちが国連の人とかIMFの人達で、そういう人達って結局上から「俺たちがこういうプランを作ったのでそちらの現地でこうこうこういう風にやってください」っていう風に現地の人達にプランだけ与えてやらせるって感じなんだよね。で、成功したらそれは搾取するし失敗したら失敗したで投げやりにしちゃって尻拭いはその現地の人達にやらせるっていう。完全な協力体制っていう形に全然なってないんだよね。

いがもっち:そうなんだ。

ゴクツブシ:らしいよ。俺も行ったことないから詳しくは知らないけど。

いがもっち:いやあ、でもやっぱり、結局はおいしいとことった方が脚光浴びることになるからねぇ。