『交通インフラに反抗する清純派な草枕たちの雑録』【1-1、旅行論】(ゴクツブシ米太郎)

こんにちは。ゴクツブシ米太郎です。一時の悪ノリで左のようなよくわからないペンネームをつけてしまったけれど、どうせなら「観音寺」とか「榊原」のような憧れのかっこいい苗字をつければよかった。観音寺米太郎。そこはかとなく漂う小坊主臭が素敵。

 

【1-1、旅行論~エリック・リード著『旅の思想史』をもとに~①】

 ――楽しみを手に入れようと躍起になった旅行者ほど惨めなものはない――

 これは、イギリスの小説家D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』(1928年初刊。伊藤礼訳、学習研究社)の終盤に出てくる文言です。いったいなぜ、旅行者の娯楽の追求を戒めるなどというお節介を、この作者はするのでしょう?

 議論に突入する前に、「旅」と「旅行」の意味がどう違うのか、というポイントを押さえておきたいと思います。これに関しては、人それぞれの感性的な意見は枚挙に暇がないと思いますが、まずは、言語学的なアプローチから。

『観光旅行用語辞典』(北川宗忠著、ミネルヴァ書房)をめくってみると、「旅=travel」、「旅行=tour」というふうに弁別されております。

 お次に、辞書界では屈指の世界的権威の持ち主Oxford English Dictionaryを調べると、“travel”の語源はラテン語の“trepaliare”だそうな。大意は“an instrument or engine of torture”(ひどい苦痛の手段、あるいは動力)。また、中世英語の“travail”は“suffering or painful effort, trouble”(苦しいこと、あるいは痛みを伴う努力や困難)という意味です。

 一方、“tour”の語源はラテン語の“tornus”、意味は“a tool for describing a circle”(円を描くための道具)であり、“tour”の三つ目の意味では“A going or travelling round from place to place, a round; an excursion or journey including the visiting of a number of places in a circuit or sequence”(下線は引用者)とのこと。

すなわち、「旅行=tour」という言葉には「旅=travel」につきまとう「苦痛、困難」のイメージは希薄で、「行って戻る」ことが保証されている、円環的な移動のイメージが浮かんできます。

 言葉調べが長くなってしまいましたが、ここから「旅=travel」の歴史を簡単に紐解いてみましょう。『旅の思想史』(エリック・リード著、法政大学出版局)によれば、古代の文学『ギルガメシュ叙事詩』『オデュッセイア』で描かれる旅はまさに苦難の物語であり、それは神話的側面から語れば、神々が定めた宿命であり、必然的な試練であるとも言える。しかし、その苦難を乗り越えることによって、旅人はより優れた人物として成長することができる。言い方を変えれば旅の難易度が、旅人の経験地の尺度になっている、というわけです。

 ここで重要なのは、古代人にとって旅は強制される出来事であって、決して個人の自由の範疇ではなかったということです。これは日本の場合も似ています。万葉集に詠まれた旅に関する歌を詳しく分析した『萬葉集の覉旅と文芸』(三田誠司著、塙書房)では、旅に関する歌をA.旅先への関心、B.旅にある自己への関心、C.家・妻への関心の三つに分類しています。この分類に歌の詠み手のパースペクティブを付け足すならば、こんな感じでしょうか。

A.旅先への関心

⇒自宅や宮中を起点として、これから始まる旅を夢想している。

C.家・妻への関心

⇒旅先を起点として、残してきた家や身内を振り返っている。

B.旅にある自己への関心

⇒AとCに見られた二つの起点の狭間で揺れ動く心境、または、旅の経験によって自分の意識や感性、ものの見方が更新されていく様子を詠っている。

繰り返しになりますが、「旅行=tour」的な「行って」「戻る」ことができる保証は、古代の旅には縁のないものでした。古代の旅は、「旅行=tour」が持つ円環的なイメージよりも、上で見た二つの起点から成る単線的な、直線的なイメージのほうが圧倒的に強いのです。

 

(1-2につづく)